「分からない」とはどういうことか
――認識限界と部分行為者による世界認識――
DOI:
https://doi.org/10.51094/jxiv.6353キーワード:
認識論、 認識限界、 可謬主義、 部分行為者、 部分知、 世界認識抄録
学問は一般に、未知を既知へと変換し、理解できなかったものを理解可能にしていく営みである。しかし「分かる」という状態を考えるためには、その反対側に位置する「分からない」について検討する必要がある。本稿では、単なる知識不足による一時的な不知とは異なる、人間の認識主体としての有限性に由来する認識限界を、①自己認識の限界、②共通認識の限界、③絶対認識の限界、④全体性認識の限界、の四つに整理する。そのうえで、人間の認識が有限かつ可謬的であることを前提としながら、世界の限定された領域について観察・思考・推論・実践を行う主体を「部分行為者」と定義する。複数の部分行為者が形成した部分知は、相互の照合、批判、修正を通じて暫定的な世界像を構成する。この観点から、学問とは「分からない」を完全に消滅させる営みではなく、認識限界を背景として局所的な「分かる」を拡大し続ける営みであると論じる。
利益相反に関する開示
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引用文献
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Thomas S. Kuhn, The Structure of Scientific Revolutions, University of Chicago Press, 1962.
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公開済
投稿日時: 2026-09-05 08:52:49 UTC
公開日時: 2026-10-06 23:58:46 UTC
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水久保, 淳
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