明治後期の芸者置屋における経営戦略―変容する社会への適応に着目して―
DOI:
https://doi.org/10.51094/jxiv.1101キーワード:
芸妓、 花柳界、 人身売買、 花街抄録
本研究は、メディアの発達および日清・日露戦争の影響などを背景として、花柳界が急速な発展を遂げた明治三十年代から大正初期において、芸者屋(芸者置屋)が行っていた経営上の努力を歴史的に検証するものである。
当該期の花柳界を扱った雑誌記事、新聞、ルポルタージュ等の史料、特に東京の芸者屋に関する報道および抱え主らの証言を分析対象とし、変容する世論や社会情勢の中で、芸者屋がいかにして芸妓の育成・管理を行いつつ、外部組織やメディアとの関係を構築し、経営的成功を実現していったのかを明らかにすることを目的とした。
第一章では、まず明治期の芸者屋の基本的営為を「芸妓の育成」「芸妓の管理・統制」「出先への営業・関係維持」の三点から分析し、具体的事例を交えて考察した。第二章では、当該期に普及していた抱え主と芸妓の養子縁組の慣習に焦点を当て、近世からの身売り奉公の伝統に加え、明治期における法的環境の変化の中で、芸妓の逃亡や廃業への対策として養子縁組が戦略的に活用された背景を明らかにした。第三章では、第一章、第二章の内容を踏まえ、明治期の東京で最も隆盛を誇った芸者屋の一つである、赤坂の春本をケーススタディとして取り上げ、その独自の養子縁組を活用した芸妓育成システム、美人絵葉書等の新興メディアを用いた宣伝戦略、および明治三十年代以降の社会が求めた美人像との関連性を分析することで、その経営的成功の諸要因を考察した。
一連の研究から、明治三十年代から大正初期における芸者屋では、抱え芸妓、出先、客、さらには花柳界の顧客以外の一般大衆に至るまで、多様な層をターゲットとした経営上の工夫が為されていたことが分かった。また、芸者屋では、伝統的な花街システムの中で、抱え芸妓や同業者との関係維持に努めると同時に、花街の外部への積極的な広報活動を通じて、社会における芸妓および芸者屋の新たな役割の創出が試みられていた実態を示すことができた。
利益相反に関する開示
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引用文献
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投稿日時: 2025-06-01 03:23:16 UTC
公開日時: 2025-06-11 23:19:06 UTC
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後藤麻友

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